Sunday, January 4, 2015

読書感想文:東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

実家に帰省して一週間も経つと、いよいよ退屈になってくる。テレビも見飽きた。そこで二階の本棚から何冊か読みかけの本を持って来て、こたつに寝転がって一冊一冊読み潰していった。「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(リリーフランキー著)はその中の一冊だ。



この本がベストセラーになった2005年。私は米国ケンタッキー州のはずれにある小さな町に住み、トヨタ自動車系列の会社に勤めていた。その年の暮れ、正月休みで一時帰国した時にこの本が目に留まり、買ってみて途中まで調子良く読んでいたものの、物語終盤でいざ「ボク」の「オカン」が死ぬ、という場面になってたまらなくなり、パタンと本を閉じたままになっていた。読んでいられなかったのだ。その時は、あと何日かしたらまた家族を残し、一人アメリカに戻らなければいけない、ということからか、親が死んでしまう話など読むに読めなかったのだ。あれから9年。私は帰国しまさかの結婚もして、両親も元気に同じ日本に住んでいる。今なら読めるだろう、と意を決して、そのしおりの挟まった本を再び開いた。



大きな間違いだった。何度となく涙で目の前の本の文字がかすみ、何度となく本を閉じた。親の死。親を持つ者には誰にも必ず訪れる、悲しすぎる出来事。できれば想像もしたくない。他人事に思っていたい。だからたとえ本の世界であっても、直面したくないのだ。そう実感した。

それでも涙を拭き、鼻水をかみ、何度も中断しながらもこの本を9年越しに読了することができた。物語の終わりに、「オカン」を亡くした「ボク」(リリーフランキー)は乗降客でごった返す東京駅にたたずみ、こんな風に綴っている:

『...今日も東京には、どこからか人が集まり溢れかえっている。
それぞれが...ひとりで生まれ、ひとりで生きているような顔をしている。
しかし、当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、大切にすべきものがあって、心の中に広大な宇宙を持ち、そして、母親がいる。
この先いつか、或いはすでに、このすべての人たちがボクと同じ悲しみを経験する。

...人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。
人の命に終わりがある限り、この恐怖と向かい合わずにはおれないのだから。』

当たり前の事だけれど、こうして文字にされると、しみじみと考えてしまうような文だ。
私は本を閉じて、こたつでテレビに夢中になっている親の姿を見た。
優しい言葉のひとつでもかけてあげたい。
「ありがとう」と言えるうちに何度も何度も言ってあげたい。

現実と向き合うのは、思ったより難しい。



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