Thursday, March 27, 2014

廣之おじさんのこと

伯父さんは、廣之おじさんは、奥沢の線路沿いにある
陽の当たらない小さなアパートの台所の床で、冷たくなっていた
おまわりさんが駆けつけて来るまでの間、マイクと抱き合って
声を上げて泣いた
目の前で起きていることが信じられなかった
この目に映るもの全てを、信じたくなかった

その夜お父さんが東京へ来て、警察で遺体を確認した
変わり果てたおじさんの姿に、動揺を隠せないでいた
私はそれを見て、陰でまた何度も泣いた

次の日、お父さんと一緒におじさんの部屋を整理した
買い物をしたレシートを見てみると
イチゴ、とあった
おじさんは苺が好きだったのだろうか
明日、棺に入れてあげようか
私はおじさんの事をまったく知らない

おじさんの携帯電話の電話帳には
ひらがなで名前が二つ、登録されてあった

いしくら たきお
いしくら ゆきひさ

二年前に亡くなったもう一人の叔父さんとお父さんの名前
おじさんからすると、ふたりの弟だ
おじさんは結婚したことがなかったし
友達もいなかった
おじさんの小さな世界には、頼れる人はお父さんしかいなかった

私はおじさんの存在すらもよく知らずに育ち
よく知ろうともしなかった
こんなに近くに住んでいたのに
一度も会いに行かなかった
会おうと思えばいつでも行けたのに
でももう遅い
おじさんは寒い冬の夜
ひとりで逝ってしまった

警察のひとが検視をしているあいだ
私はマイクと等々力渓谷に行った
おじさんが好んで散歩をしたコースらしい
そこを歩いて、等々力不動のベンチで
マイクは疲れた、と横になった

私は膝枕をしてやりながら
彼の首筋のぬくもりを確かめていた
さっき触ったおじさんの頬は
まるで氷のようにひんやり冷たく硬かった

生きているということは
それだけで本当に尊いことで
毎日誰かがどこかで命を落とし
それでも世界は動き続ける

今週末には東京でも桜が満開になるだろう
おじさん、もう少しで桜が見られたのに

悔やんでも悔やみきれない
春の冷たい雨の降る、三月最後の木曜日


Saturday, March 22, 2014

音楽を聴く耳と文章のリズム ー 村上春樹が言うところの、文章と音楽のの深〜い関係

「いつか土に帰る日までの一日」という谷川俊太郎の詩に最近出合い、英語に翻訳させてもらった。その中で一番好きなくだりがこれだ:

日記を書きたかったが眠くて書けなかった
一日の出来事のうちのどれを書き
どれを書かないかという判断はいつもむずかしい
書かずにいられないことは何ひとつないのに
何も書かずにいると落ち着かないのは何故だろう

I wanted to write a diary, but I was too sleepy to write
To decide which events of the day to write about
Or not (to write about) is always difficult
There is not one thing that I cannot live without writing
But why don't I feel at ease if I don't write anything?

この部分を読んだ時、「まったくだ!」とよく落語家が扇子でやるように、膝をぴしゃりと叩きたくなった。私は一日が終わる頃、書きたいことで頭がいっぱいになっている事が多い。最近では、ニュースにもなったベビーシッターについて、アメリカ事情と比較してどうして日本では健全なベビーシッター文化が成り立たないかを検証したり、東京で初めて出来た友達でカザフスタン出身のアイスルという医学生の事とか、銭湯にみる、服を脱いでも化粧を落としても美しい人の共通点とか、独断と偏見で綴る、日本よりアメリカの方が優れている物とか、米人の夫の日本語の間違いを指摘したら、私が崇拝するWorld Englishes的観点から「僕は僕のvarietyを喋ってるんだ。君はLinguistic Imperialistだ!」とまっとうな反論されて度肝を抜かれた事とか、この間行って来たハネムーンの事とか、それはもう書きたいことだらけで収拾がつかなくなっている。

谷川俊太郎が言うように、この中で書かずにいられないことは何ひとつない。書き始めたら意外と5行くらいであっけなく終わってしまうような、取るに足らない話題だらけなのかも知れない。でも何も書かずにいると無性に落ち着かなくなり、罪悪感にまで苛まれる始末だ。しまいには眠くなってベッドにもぐり込んでしまうのだが、朝起きてまたひとつ、ふたつ、と書きたい事が増え、リストは果てしなく長くなる一方なのだ。




ところで、今日書きたかったのは、書きたいことが山ほどある!という事ではない。今読んでいる本の事を書きたかったのだ。その本とは、「小澤征爾さんと、音楽について話をする」という題の本で、2011年に出版された。小澤征爾が村上春樹の自宅で熱いほうじ茶を飲んでクラシックのCDを聴きながら音楽談義したものが、そのままふたりの会話形式で綴られている。ここで私が目を見張ったのが、村上春樹のクラシックを聴く耳についてだ。彼は専らジャズを好んで聴くひとだとばかり思い込んでいたからだ。彼の知識の深さにはマエストロも驚きを隠せないでいた。村上春樹は途中で、「文章と音楽との関係」について触れている。彼いわく、音楽的な耳を持っていないと、文章はうまく書けない。なぜなら、文章で一番大事なのはリズムで、リズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はないからだそうだ。私はそこでやけに納得してしまった。私が村上春樹の文章が好きなのは、彼の持つ音楽的な文章から醸し出されるリズムを感じ取っていたからなのかも知れない、と。

そうやって自分が都合の良いように勝手に解釈したのには、理由がある。カクイウ私も音楽家の端くれだからだ。私は国立の音楽学部のある大学を第一志望としていて、ピアノから声楽、ソルフェージュ、聴音、音楽の理論が実技試験で課された。が、センター試験の結果がボロボロだったため、その大学には不合格になってしまった。浪人は経済的に無理だったので、第三志望の私立の大学へ進学したものの、周りの友達はサークルとバイトに明け暮れる毎日で、私は自分の居場所を見出せなかった。私は勉強がしたかったし、何よりピアノが弾きたかったのだ。そこで選んだ道は、アメリカへの留学。私の人生はそこで大きく変わった。

交換留学でお世話になったアーカンソーの州立大学で出会ったのは、スミス教授というピアノの先生だった。交換留学生は専攻は関係なく、基本的にどんな授業でも履修していいことになっていた。名門インディアナ大学のピアノ課で博士号をとったスミス教授は、ピアノ専攻の学生しかレッスンを持たないと聞いていたが、私はすぐにスミス教授のオフィスのドアを叩き、先生のもとでピアノを習わせて欲しい、と懇願しに行った。じゃあ、何か弾いてみなさい、と突然言われて弾いたのがショパンでもバッハでもなく、何を思ったか坂本龍一のEnergy Flow だった。その時暗譜していた曲がそれしか思いつかなかったのだ。弾き終わって恐る恐るスミス教授の表情を窺うと、「君はいい音を出す。いいピアニストだ」と即座に入門を認めてくれた。

本の前半で小澤征爾と村上春樹が、ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第三番について語っているのだが、小澤征爾がオーケストラとピアノの間の取り方について話している所がある。そこで小澤が『ティー・ヤター』とか『ティイーヤンティー』とか言っているのを読んで、懐かしくて笑ってしまった。スミス教授も、よくリズムの説明をする時に、『ティー・ヤッタッタ・ヤッタッタ・ヤッタッタター』とか言って教えてくれたからだ。それまで外国の先生に外国語でピアノを教わったことがなかった私には、そのティー・ヤターがとても新鮮で、本当のところを言うと初めの頃は吹き出すのをこらえるのに必死だった。だってスミス教授、大真面目な顔をして、ヤッタッタヤッタッタ言ってるんですもの!

そんな昔の出来事に思い出し笑いしながら、本の音楽談義に出て来る、内田光子の演奏(ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第三番、第三楽章)を最後に紹介します。小澤征爾曰く、内田光子は「本当に耳が良くて、音が実にきれいで、『思い切りがいい』ピアニスト」らしい。私も実は数年前、ボストンで彼女がモーツァルトのピアノ協奏曲を弾くのを生で見たことがあるので、彼女の音のきれいさについては知っていたが、この演奏を聴いて小澤征爾が言うところの「思い切りの良さ」も頷ける。気付くと前のめりになって聴いてしまっているような、人を惹き付けるパワフルな演奏だ。彼女もまた、質のいい文章家であるに違いない。







Thursday, March 13, 2014

A new translation of TO LIVE (生きる) by Tanikawa

TO LIVE

To be alive
To be alive now
It's a thirsty throat
It's dazzling sunshine filtering through foliage
It's remembering a certain melody suddenly
It's sneezing


It's holding hands with you


To be alive
To be alive now
It's a miniskirt
It's a planetarium
It's Johann Strauss
It's Picasso
It's the Alps
It's encountering all the beautiful things
And
It's carefully refusing the hidden evil


To be alive
To be alive now
It's being able to cry
It's being able to laugh
It's being able to be angry
It's being free


To be alive
To be alive now


It's a dog barking in the distance now
It's the Earth traveling around now
It's the first cry raised somewhere now
It's the soldier getting hurt somewhere now
It's the swings shaking now


It's the now that's passing now


To be alive
To be alive now
It's birds flying
It's the sea roaring
It's snails crawling


It's people loving one another (falling in love)


The warmth of your hand
It's life

—Shuntaro Tanikawa
(English translation by Naoko Smith)




生きる   
           谷川俊太郎

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること


あなたと手をつなぐこと


生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと


生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ


生きているということ
いま生きているということ


いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ


いまいまがすぎてゆくこと


生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ


人は愛するということ


あなたの手のぬくみ
いのちということ


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Friday, March 7, 2014

A new translation of "A DAY UNTIL RETURNING TO THE SOIL ONE DAY" by Tanikawa「いつか土に帰るまでの一日」谷川俊太郎

A DAY UNTIL RETURNING TO THE SOIL ONE DAY

Two friends came over, drunk, and talked until half past three
Intended to go to bed and looked outside while pissing
It was bright outside already and little birds had begun to chirp
Hadn't ended a day this way in a long while

I wanted to write a diary, but I was too sleepy to write
To decide which events of the day to write about
Or not (to write about) is always difficult
There is not one thing that I cannot live without writing
But why don't I feel at ease if I don't write anything?

After pissing I slept about five hours  I forgot all about the dream
Got up thus and so write poetry instead of diary
That's right, I remember now, one of the friends got drunk and
Claimed repeatedly that he respects his wife but does not love her
Another friend was trying to list the names of five authors he dislikes but only able to give three names
We all ate cherries from the deep blue glass bowl 

It is hard to believe a day ended that way, but it did
What's left (and what's lost too) is not only words

Poems cannot exceed words
Only human can be more than words
Last night I was laughing to tears but
Today I have forgotten the reason for laughing as if it never existed 

—Shuntaro Tanikawa
(English Translation by Naoko Smith)





いつか土に帰るまでの一日 
(『世間知ラズ』より 1993)

谷川俊太郎

二人友達が来て三時半まで飲んでしゃべっていった
寝ようと思って小便しながら外を見たら
外はもう明るく小鳥が鳴き始めていた
こういう一日の終わりかたは久しぶりだ

日記を書きたかったが眠くて書けなかった
一日の出来事のうちのどれを書き
どれを書かないかという判断はいつもむずかしい
書かずにいられないことは何ひとつないのに
何も書かずにいると落ち着かないのは何故だろう

小便してからぼくは五時間ほど眠り 夢はすべて忘れ
起きてこうして日記の代わりに詩を書く
そうだ思い出した 友達のひとりは酔って
妻を尊敬しているが愛してはいないと繰り返し主張し
もうひとりは嫌いな作家の名を五人あげようとして三人しかあげられず
みんなで藍色のガラス鉢から桜んぼを食べた

一日はそうして終わったのだと信じがたいがそうはいかない
残ったのは(そして失ったものも)言葉だけじゃないから

詩は言葉を超えることができない
言葉を超えることができるのは人間だけ
ゆうべぼくは涙が出るほど笑ったが
笑った理由を今日はきれいさっぱり忘れている